常滑ツアー 野間大坊は見所いっぱい
昨日の続きね
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客殿に来ました〜
御朱印をお願いしている間に
仲間に渡すお守りを買いました
お守りの種類もすごく いっぱいあって選ぶのが大変なくらい
で、御朱印帳を返していただいた時
ふと目に入ったモノが・・・
「ちょっと・・・ これ・・・」
「えっ! 大根 伴さん大根欲しいの?」
大根? あっ、大根・・・
大根の写真撮り忘れた〜〜〜
確かに「ご自由にお持ちください」の大根があったんだけど(笑)
目に入って来たのは
「快慶・阿弥陀如来立像」拝観 ¥500
えっ!
快慶って
あの
運慶・快慶の「快慶」のこと!?
昔の仏師で東大寺・金剛力士像を作った人の一人(テストに出る! 心に刻めっ!)
「あ・うん」の呼吸の由来となったと言われている像の仏師さん
寄せ木作りという手法で、いままでよりもより大きな仏像を作り出す事を考案
木彫りの仏像は1本の木から作り出しているから、小さめのものが多かったので当時としては画期的な作り方
マジか!
見たい! ものすごく見たい!
大根じゃないよ!
そして、みんなに聞いて 見よう! 見よう!と
本堂に上がると
宝物があります
尾張藩初代藩主徳川義直(1600~1650)の命により、狩野探幽が18歳のときに描いた作品です。
「義朝最期図」には平治元年(1159)十二月の平治の乱に敗れて落ちのびる源義朝が、尾州知多郡野間の地で譜代の家臣であった長田庄司忠致父子によって謀殺され、のちに義朝の子頼朝が忠致父子を磔に処する話が描かれ、もう一方の「頼朝先考供養図」には、建久元年(1190)十月、頼朝が上洛の途上に野間に立ち寄り、父の供養のために修した大法会の様子が描かれています。本図には絵解き台本が伝わっており、その内容はおおむね「平治物語」に依拠しています。
住職からこの作品のお話をききます
んで、この人も
源義経 幼名・牛若丸 そして遮那王
ご本尊の横に
快慶作 阿弥陀如来立像があった!
マジかっ! 一気に800年前の空気感と一体になれる!
震える〜〜〜
この感覚好き!
のまたいぼう〜〜〜
みんな覚えよう
野間大坊
そして午前中の予定は終了
午後のプランへ移動しま〜す